11月2日、ことしも冠着修験体験イベント

冠着山の自然と文化遺産を保存する会事務局長 上水清

 西方の山のかなたに日か沈むと、祖霊神の使いといわれているヒメボタルが乱舞し、天空には満天の星がまたたき、下界は小さな光で埋め尽くされる。冠着山の頂で初夏に現れるこの神秘的な光の共演は、まさにこの世の夜の浄土…。

 私の夢想は広がる。夜の光の共演は東の空が白々としてくるとともに終わり、まもなく夜明けとともに里からホラ貝の声が近づいてくる。その獅子の響きは生類を目覚めさせ、仏法の教えのごとく正気を与える。六根清浄、懺悔懺悔のかけ声は、生きる者の切実な告白と決意の吐露としてさわやかで心地よいうねりとなってこだましてくる。

 かつて、厳しくも豊かな自然を崇拝し、山に対する怖れと畏敬の念を抱きその霊的な力を信じて験力を身につけようと修行者たちは冠着山に分け入った。さまざまな神々が祭られているこの山に、般若心経の読経が響き渡り、たかれた護摩の煙りが高々と立ち上がる。分け入った者たたちの願いは最高潮に達する。

 冠着山は昔、このような修験(しゅげん)の道場であったと思う。修験道は、仏教と神道の他に中国から伝わってきた道教や陰陽道の要素も加わって確立し、やがて、日本の風土に最も合った修行として日本全国に広まっていった。

 冠着山が修験道場となった時期は定かではないが、木曽義仲が武水別神社に祈願文をささげた時、冠着山峰児権現ととなえているので、このころすでに峰児権現が祀られていて修験道が行われていたものと推定される。その後、戸隠山の前山道場(戸隠山に入山する前に必ず詣でる山)として位置付けられた。当時冠着山の山腹にあった明徳寺、知識寺、安養寺は修験者の拠り所であったと伝えられている。

 明治の初期、修験者に押し寄せられた政治弾圧によって姿をひそめたが、正義と人々の希望は苦難に屈ぜず、古き良き伝統文化を復活させたいと願う市民団体によって4年前の2015年に蘇り、今年も11月2日に実施されます。画像をクリックすると、詳しい内容を記したチラシが現れます。

 昨年の冠着修験体験イベントはこちらをご覧ください。山頂で世界安穏を祈願ー冠着修験をみんなで体験

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