出前授業・出前講座日記

地区の人権研修会で姨捨山伝説の語りと琵琶演奏を披露しました(2024年10月20日)

芝原区・若宮区 人権教育研修会 「琵琶の調べにのせて語る姨捨山伝説」 2024年10月20日(日) 13:30 ~ 14:30

 秋の気配が急に強くなった10月20日(日)、千曲市の芝原公民館にて、芝原区・若宮区合同の人権教育研修会が開催されました。2024年度は、講師を千曲市羽尾の野本洋子さんと塚原佐久子さんにお願いし、テーマを「高齢者の人権について」として、姨捨山伝説の語りと琵琶演奏を取り上げました。(報告=さらしなルネサンス理事・芝原区代理区長 中村洋一)

 千曲市に伝わる姨捨山の伝説は、さらしなの冠着山と強く結びついているお話で、一度は子が老母を山に捨てたものの耐え切れず連れ帰り、その老母の智慧で国が救われるという不幸ではない結末ですが、一定の年齢に達した老人を、社会に不要な存在あるいは厄介者として捨てる「棄老伝説」は、世界各地、様々な宗教で、事実として、また伝説として語り継がれてきたそうです。

 野本さんは、絵本の読み聞かせなど語り部の活動に取り組み、塚原さんは家に伝わる琵琶の演奏をお師匠さんに学んで身につけ、野本さんとペアを組んで姨捨山伝説を伝えている方です。47名の参加者は、おふたりのお話と演奏に引き込まれていきました。野本さんによる「おらほの言葉」による姨捨山の伝説と、塚原さんの哀愁漂う琵琶の音に乗せて語られる、母親と息子のお互いを思いやる気持ちに、あらためて思うことの多い時間になりました。

 「年寄りの智慧と若者の勇気がさらしなの里に平和をもたらした」という結びに、現代の社会の在り方、政治の在り方に、我々が反省すべきことが多くあることを感じました。「高齢者の人権」を思うとき、高齢者の該当者である自分のとるべき行動に、正直迷うこともあるのですが、すべての人権が尊重され、平和で安寧な社会を作っていくために、ひとりひとりが声をあげ、小さなことでも、少しずつでも、行動していくことが重要なのだと気持ちを新たにしました。

 姨捨山伝説に続いて、塚原さんから、薩摩琵琶の歴史や演奏方法についての説明をうかがいました。そして、平家物語にある「祇園精舎の鐘の声」の一節をお聞かせいただきました。長い歴史の中で語り継がれてきた韻文や、弾き続けられてきた旋律は、理屈抜きに我々の心に響くものであることを再認識しました。

 最後に、「耳なし芳一」のお話も演じていただきました。耳を引きちぎられてしまう芳一の話であるのに、聞こえてくる言葉が持つ力、奏でられる琵琶の音の大きなエネルギーを感じました。

 人権教育の研修会には様々なアプローチがあるのかと思いますが、今回のように、伝統的なお話をうかがいながら、現代の課題に思いを馳せるのも、大変有意義なことだと思いました。

 なお、野本さんと塚原さんによる「姨捨伝説の語りと琵琶演奏」は、次のページでも聞くことができます。クリックしてみてください。

姨捨伝説のひとり語りと琵琶伴奏




冠着山の成り立ちについて麓の小学校で授業をしました(2024年6月13日)

頭が一つ飛び出たさらしなの里のシンボル冠着山(姨捨山)。その姿から火山だと思う人もいます。本当のところはどうなのか。信州大学名誉教授(地震学)でさらしなルネサンス理事の塚原弘昭さんが、そんな疑問に答える授業を6月13日、麓の更級小学校(千曲市更級地区)でしました。6月25日に冠着山登山を予定している5年生の事前学習の授業。冠着山は「元火山」だそうで、塚原さんは大きな模造紙の手書きの図解を何枚も張り出し、分かりやすく説明しました。

「元火山」の意味は、かつて溶岩が噴き出したことがあったけれど、長い年月の間に、溶岩が冷え固まり、さらに風雨で頭頂部が深く削られ、噴火していたときの姿ではなくなっているという意味です。

ホワイトボードに張り出した手書きの図解(時間経過は右から左へ)をご覧ください。約600万年前、更級地区の奥深くでマグマができて、割れ目を通って上昇し、噴火が始まりました。500万年前に噴火が弱くなり、マグマも冷え固まっていきます。そして490万年をかけて削りに削られ、10万年前に現在私たちが見る冠着山の姿(左端)になったそうです。

つまり、噴火していた「原始冠着山」は、今の冠着山よりずっと高く、高かった分の山の土や固まった溶岩はふもとに崩れたりしてしているわけです。

5年生の教室から見える冠着山

図解の右から3列目と4列目には溶岩の道がそれぞれ3本描かれていますが、真ん中は冠着山の頂上への道で、ほかの2本は現在の児抱岩(ぼこだきいわ)と屏風岩(びょうぶいわ)に至る道です。600万年前の溶岩が露出して、冠着山の特長となっています。

百万年、10万年という時間の感覚はちょっとわかりづらいです。塚原さんは、二本足で歩くことができる人類(ホモサピエンス)がアフリカで誕生したのが約200万年前であること、そして縄文人が冠着山の麓に住み始めたのが約5千年前であることを紹介しました。

質問の時間では、手がたくさん上がり、時間切れで打ち切らざるをえないほどで、子どもたちの興味、関心が高いテーマであることが分かりました。

塚原さんは5年生と一緒に25日、冠着山に登ります。また質問がたくさ出ることでしょう。

冠着山の成り立ちについての塚原さんの文章もあります。次をクリックしてください。

冠着山は火山ですか? 地学者の塚原弘昭さんが答えます

児抱岩については次をどうぞ。

https://www.sarashinado.com/2011/11/27/bokodaki/

(大谷善邦)





「俳句って おもしろい!」 更級小全学年に出前授業を行いました(2024年1月16日)

 更級小学校で1月16~23日、1年生から6年生の皆さんと一緒に、俳句づくりを行いました。

 同小学校では、2月に全校児童が自分の俳句を展示し、互いに鑑賞し合う「更級小 はいくまつり」を行います。この「はいくまつり」に向けて、1年生は「俳句とはどのようなものか」を学び、初めての「はいくづくり」を学習しました。2年生から6年生は、気持ちや情景が読む人に伝わるよう、俳句を練り直す学習を行いました。

 まず、どの学年も初めに「さらしなで俳句が盛んなった理由」について学習しました。「さらしなは、月がとても美しい場所」として1000年も前から有名だったこと。そして、江戸時代の有名な俳人 松尾芭蕉が「さらしなの月を見たい」と旅をして、このさらしなの地にやってきて、「俤や 姨ひとりなく 月の友」などの俳句を残していることが、さらしなで俳句が大切にされている理由であることがわかりました。児童の皆さんは、「さらしな」がそんな昔から有名であったこと、教科書に載っている有名な芭蕉が、わざわざこの地を訪れていたことなどにびっくりしたようでした。

 次に、自分の作った俳句を見直してよりよい作品にする学習では、まず、季語を見直してみました。季語が2つ入っていたり、季語によって大切なことが既に表現されていたことに気づき、季語の大切さを学びました。また、「この俳句で表したい情景や気持ち」を明確にし、表現したい情景や気持ちをあらわす言葉をいろいろ考えてみました。その際、「たとえ」や「オノマトぺ」、「具体的な名称」や「量」「セリフ」などの効果について学習し、自分の俳句に取り入れたりして、俳句を完成させました。特に、言葉を比べたり、組み合わせたりして、自分の俳句に一番ぴったりする言葉を考えることができました。

〈児童の感想〉

○「えどじだい」のこととか、「はいく」をこういうようになおすと、いいはいくになるとか、いろいろ教えてもらった。むずかしかったけど、はいくがよくなってうれしかった。

○今まで知らなかったことをいろいろ知ることができた。「こうしたらいい!」とか「これじゃあ、変?」とか、けっこう考えることができた。

○自分で満足できた俳句ができたし、友達と話して仲よく学習できたのでよかったです。

○言葉から、いろいろなことが浮かんでくるような俳句が、本当にいい俳句だと分かりました。俳句っておもしろいと思いました。

〇おばすてやさらしなについて、たくさん知ることができたので、今度ほかの人に教えてみたいです。

 また、1年生は、コネット更級で読み聞かせの活動をしている野本洋子さん(さらしなルネサンス理事)から、さらしなの方言による「姨捨伝説」を聞きました。初めてこのお話を聞く児童もおり、老人を山に捨てなければならなかった残酷で悲しい内容に憤慨したり、息子の母親を思う気持ちや老人の知恵で危機を乗り越え皆が助かったことにほっとしたりして、楽しい時間を過ごしました。

〈児童の感想〉

〇わるいおとのさまをやりかえしたことがすごかったです。

〇ほうげんがたくさんあって、むずかしかったけれど、いいおはなしだとおもいました。

〇おばすてやまにのぼったことはないけれど、おはなしをきいていってみたくなりました。

 (児玉淳子)





埴生小で東山の鏡台山の魅力、方言の面白さを伝えました(2023年9月12日)

 千曲市の埴生小学校3学年3クラスで9月12日、「月の都」の出前授業を行いました。それぞれ45分という短い時間ですが、先生からの要望で、前半は月の都の理由を説明、後半で方言かるたを楽しみました。

 埴生小は、月の都の月が上ってくる東山(ひがしやま、千曲川の東側、旧埴科郡の山並み)」の麓にあります。校歌には、「月の都」でとても重要な「冠着山」「千曲川」そして「東山」という歌詞が全部出てくるので、そのことをまず伝え、「月の都」という日本遺産は自分たちに身近なものであることを知ってもらおうと思いました。

 この授業で特に覚えてほしかったのが、東山の中でも特に大事な「鏡台山」。埴生地区からは見ることができないので、反対側の更級地区や姨捨地区から撮った月の出の写真をいくつも見てもらいました。昔のお化粧台の鏡台の写真も見てもらい、親しみが持てる山になるといいなと思いました。

 授業の大きな狙いは「千曲市ってどんなところ?」と聞かれたら、「月の都」と胸を張って答えられるようになること。最後に、「胸を張れるかな?」と尋ねると、うなづいてくれる子が結構いました。 

 後半のかるたは、さらしなルネサンス理事で民話・絵本の語り部の野本洋子さんが手作りした「さらしな方言かるた」。野本さんが、月の都で昔から使われてきた方言を標準語の訳文も織り交ぜながら読み上げるかるたです。子どもたちは4人のグループに分かれ、「があたくな…」「らっちもねえ…」「ごむせえ…」といった響きの楽しい方言を自分たちでも唱えながら取っていました。

 「さらしな方言かるた」は、野本さんがいくつも作って社会福祉協議会など贈呈したもので、出前授業でやるときは数が必要になるので、協議会から貸し出してもらっているそうです。

 埴生小校歌の画像をクリックすると、月の都の理由を説明するときにつかったスライドがご覧になれます。(大谷善邦)





尾根にも水を行き渡らした先人の水路計画—「姨捨の棚田」学習に大事な視点(2023年9月14日)

尾根につくられた曽根棚田(そねたなだ)

 2022年に引き続き、「姨捨の棚田」をテーマに現地学習するという屋代高校附属中1年生を9月14日、案内しました。(塚原弘昭=さらしなルネサンス副会長・信州大学名誉教授 地震学)

 資料(下の写真)作りの過程で、次のような感想を持ちました。

 棚田は観光地ではあるし、成人したら観光に来てほしいとは思いますが、現地学習は、観光案内と同じではいけないなーと思いました。

その意味で、「A=棚田の土壌はどのようにしてできたのか」また「B=大量の水の供給はどのようにして可能になったのか」の二つが「学習」という意味で重要だと、再確認しました。Aは毎年やっていましたが、Bはあまり重きを置いてはいませんでした。

 今回は、水路の重要性について、気が付いたのが遅かったので、生徒たちに配った資料には十分なことが書いてありませんが、生徒たちが食べる昼食が姨捨サービスエリアだということだったので、棚田地域からそこへ向かう途中、大池からの水の分流個所などの見学と説明を追加しました。千曲市の観光ポスターによく登場する高い尾根(曽根棚田)にどの経路で水路を作ったのか、将来を見据えた水路計画があったのだろうと思います。できるだけたくさんの棚田に配水するのに、今考えても、ここしかない、という場所に水路が造られています。

 来年度も出前授業が続くのであれば、姨捨棚田の特徴の一つである「用水」について、地味ではあるが重要な要素であることを学習してほしいなーという感想を持ちました。この点は、観光旅行では、見たり、聞いたりすることの少ない重要点だと思いました。画像をクリックすると、配布資料5枚を一括で見ることができます。





上山田温泉街の魅力にたっぷり触れる 屋代高付属中の現地学習に協力(2023年9月14日)

9月14日(木) 屋代高校附属中学1学年22名が、地域を学ぶ学習として「上山田温泉巡り」を行いました。さらしなルネサンスでは、附属中の希望を聞きながら、見学場所・ルート等を提案し、講師の方々を紹介しました。当日はさらしなルネサンスの会員3名(林由美・中澤英治・児玉淳子)が同行し、学習に協力しました。

 生徒たちはまず「温泉資料館」を訪問し、戸倉上山田の歴史や温泉の特色などについて、小平悟朗さん(上山田温泉株式会社 取締役社長)から説明を受けました。温泉を掘り当てた坂井量之助さんの話、千曲川氾濫の度に流される温泉を守るため強固な堤防を作った話を聞いたり、上山田温泉の最も繁栄した時代の写真や温泉掘削の道具等を見たりしました。生徒たちは、小平さんに多くの質問をしていました。さらに、近くの源泉を見せてもらい、この源泉を毎日管理している方の話を興味深く聞いていました。

次に、上山田文化会館に移動し、亀清旅館の若旦那タイラー・リンチさんから、国際的な視点から見た温泉の魅力、上山田温泉の現状や観光客を増やすための新しい取り組み等を話してもらいました。熱く語るタイラーさんの話に引き込まれた生徒さんたちは、タイラーさんの指導で「炭坑節」を輪になって踊りました。笑顔がいっぱいで、とても楽しそうでした。

グループごとに温泉内の飲食店で昼食をとった生徒たち、午後は「ホテル荻原館」見学と女将さんの話をお聞きしました。露天風呂や大浴場、お部屋などを見学しながら、お客様を迎える準備、接待、おもてなし等について説明してもらいました。さらに、大広間において、旅館業のやりがいや大変さ、現在話題のSDGSについて話してもらいました。また、女将さんが、おもてなしの一つとしての特技の「皿回し」を披露すると、生徒たちは大喜びで何人も挑戦していました。細やかな準備や配慮と、なかなか聞けないお話で、生徒も私たちも感謝でした。

最後は、森さんとさらしなルネサンスの中澤さんの案内で、2グループに分かれて温泉街巡りでした。足湯(カラコロの足湯)ではお湯で温まり、今ブームのレトロな街並みを楽しみました。千曲川で釣れる鮎などをつくだ煮等にして販売されている島屋さんでは、ちょうど居合わせたご主人のご好意で店内を見学させてもらったり、中島醸造さんでは、今仕込み中の味噌の香りを楽しんだりすることができました。

1日の見学を終えた附属中の生徒たちは、上山田温泉について深く知るとともに、温泉の方々の「おもてなし」の心にふれ、充実した学習になったのではないかと思います。私たちも、とても楽しく心温まる1日でした。ご協力いただいた皆様方に深く感謝申し上げます。 (児玉淳子)





全国の数学の先生に「さらしなの里」の魅力を伝えました(2023年8月8日)

2023年8月8日から3日間、千曲市の戸倉上山田温泉で開かれた数学教育協議会第70回全国研究大会で、「さらしなの里」の魅力を二つのテーマで紹介するイベントを行いました。(報告・大谷公人)

一つは初日の8日、全国から集まった先生たちを歓迎するアトラクションで、「姨捨伝説」の語り部でさらしなルネサンス理事の野本洋子さんと琵琶奏者の塚原佐久子さんによる弾き語りです。幽玄な琵琶の音色とよどみのない語りが会場内を包み,100人を超す参加者はお二人の世界に引き込まれました。

以下は参加者者の感想です。
「お母さんの優しさに胸を打たれ、涙が止まりませんでした。」

「姨捨山のお話は知っていましたが、更級の里の姨捨伝説のお話は初めて知りました。琵琶の音にのせて語る話に心奪われ、殿様のおふれに従い一度は母を山に捨てようとするも、母の無償の愛に母を背負い再び山を降りる姿がありありと浮かび涙がこぼれました。ありがとうございました。」

もう一つのイベントは、さらしなルネサンスの大谷善邦会長による「国宝『更級日記』とさらしなそば」と題した講座。最終日の10日、数学の全国大会の中では異色といえる文系講座として行われました。16人の参加者は数学の専門家ではありますがお話に興味深く聴き入っていました。

以下は参加者の感想です。
「京都から仙台まで「さらしな」が全国区であることが良くわかりました。帰りにじっくり味わって更科そばを食べて帰りたいと思います。」

「『さらしなの月』が地元発ではなく,京の都でつくられたイメージだったということが興味深かったです。『信濃の国』の4番。『しるき名所とみやびおが∼』と結びつき納得しました。

「はるか昔!高校生の時,国語の授業で知った「更級日記-菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ)」に魅かれ,サロンに参加しました。素晴らしかったです。巻末の歌「月も出でて・・・」は、古今集の「わが心・・・」の本歌取りである。そして「更級日記」の由来を示すのであるという,エピローグは,さながら長編推理小説を読み終えた感じです」

「更級日記の名前は知っていたが、内容について、その名前をつけた根拠に日本人の文化が重ねられていると言うこと、本当に感動しました。開会行事と最後のサロンがつながり、感慨深い大会になりました。お話をしていただいた大谷さん本当にありがとうございました」





「心の中の特別な風景という表現が素敵」 屋代高校附属中で出前授業を行いました(2023年6月7日)

 さらしなルネサンスは6月7日、屋代高校附属中1学年に「名月の里」と「蔵のまち稲荷山」の二つのテーマで出前授業を行いました。
 同校が毎年行っている千曲市を知る地域学習の一環で、1学年80人がそれぞれ関心のある4テーマに分かれ、このうちの二つを当会が担当しました。千曲市外から通っている生徒が大半なので、事前に月の都冊子「The MOON CITY」と蔵のまちを紹介するパンフレットを全員に届け、事前学習してもらい、授業を行いました。
 「名月の里」を担当した児玉淳子さん(元更級小校長)は、「The MOON CITY」で執筆した「田毎の月」の魅力の秘密を語りました。立った場所から実際は一つの田にしか月は見えないのに、なぜ全部の田に月が映っている浮世絵があるのか。図解する画像を見てもらいながら解説しました。
 生徒からは「なぜ、田毎の月になったのかという推理がとても面白く、なるほど!と思った。これからも調べて知っていきたい」「田毎の月は、心の中の特別な景色という表現が素敵だなと思ったので、何か、田毎の月を守っていける活動をしたいです」という感想がありました。
 「蔵のまち稲荷山」は、自分も蔵の建物を持っている稲荷山在住の宮坂勝彦さんが担当しました。生徒からは「稲荷山の始まりは戦国時代 。 とても 古い歴史や大切な歴史がつまっている町だと説明を聞き、 感心するとともに中学校の近くにある 町が そんなに すごいのかと改めて実感しました 」「実際に歩いて 、もっと知りたいと思いました 。 白壁を近くで見てみたいです。寺や神社にも行きたいです」といった感想が届きました。
 さらに学習を深めるため、生徒たちは9月14日、現地を訪ね学習します。そのときもさらしなルネサンスでは関係者をお呼びするなどして講師を担当する予定です。(大谷善邦)





千曲市の西山と東山の違いから「姨捨の棚田」の魅力を学びました 五加小6年生(2023年2月15日)

  2月15日(水)、五加小学校6年生の皆さんに出前授業を行いました。

「『姨捨に棚田ができたわけ』を学習したい」との希望から、塚原弘昭副会長が講師となって、姨捨の土地の特徴や歴史などを説明したり、パワーポイントで具体的に見てもらったりしたことから、児童の皆さんは、姨捨の棚田の魅力を改めて学ぶ1時間になったようです。

まず、千曲川を挟んでそびえる西側と東側の山々の違いを知ることから学習が始まりました。五加小の皆さんは、どちらの山々も毎日眺めています。西側の冠着山や三峰山などのさらしなの山々の斜面には、かなり高いところまで人は住んでいますが、東側の山々は急な坂ばかりで、ほとんど人が住んでいません。また、西側の山には上から流れてくる川が何本かありますが、東側の山には川はほとんどないそうです。あらためて両方の山々を見てみると、まったく違うことに気付いて、びっくりした皆さんでした。

次に、さらしな・姨捨の棚田の「土」は粘土混じりで、深くまで柔らかいことを教えていただきました。これも、東側の山との大きな違いです。実は、さらしな・姨捨の斜面の土壌は、今の三峰山が度重なる「地すべり」を起こして、どんどんたまっていった粘土状の土が重なっていったそうです。その地すべりは、約40万年前と10万年前に起こりました。地すべりによって積もった柔らかい土は、米作りに適していることに気付いた子どもたちは、ますます興味を持ってお話に耳を傾け、塚原先生が見せてくださった姨捨山の景観図を巧みにスケッチしていました。

さらに、江戸時代の人々が集まって協力し、地すべりによって地下水がわき出した沼地をため池に変えたり、そこから水路を作って水を引いたりして棚田が作られたという話を聞いた皆さんは、口々に「すごいな」「びっくりした」「昔の人、頑張ったんだ」など、驚きの感想を発表してくれました。

「さらしな・姨捨の棚田」は、遠い昔に起こった「自然の出来事」と「昔この地に住んでいた人々の努力と工夫」によって作られたことに、深く心を動かされたようです。

〈児童の感想〉

〇知らないことだらけだったけれど、一番びっくりしたのは、江戸時代から棚田が作られていたことです。棚田の一部は、もっと昔の戦国時代にあったそうです。そんな昔の時代から棚田で米が作られていたなんて、予想外でした。

〇みんなで棚田を作ろうと決めた昔の人たちはすごいなと思いました。写真やイラストからも、棚田がたくさんあって、広がっていることがよくわかりました。地すべりのことなど、いろいろなことを教えてくださり、ありがとうございました。

(報告 児玉淳子)





屋代高校附属中の地域探訪「千曲市の宝さがし」に協力(2022年9月26日)

 さらしなルネサンスは6月16日(木)、「稲荷山」「姨捨棚田」「戸倉上山田温泉」の3つの地域の魅力を語る出前授業を、屋代高校附属中1年生を対象に行いました(詳しくはここをクリック)。千曲市の魅力に関心を高めた生徒たちはその後も、個人やグループで研究を進めてきており、9月15日(木)には、現地を実際に訪ね、その風景や実物を観たり話を聴いたり、体験したりして学びを深くしました。さらしなルネサンスでは、地域の専門の方々のご協力をお願いし、生徒たちの現場学習を支援しました。

【稲荷山グループ】  〈講師〉宮坂 勝彦さん・山口 清史さん

 稲荷山は、江戸時代は「一か月に何度も商品を販売する市が開かれ、家の数は500軒もあった」と記されるほどにぎわい、明治以降北信濃随一の商都に発展しました。現在も、旧街道に沿って近世の町割が残り、重厚な塗り篭めの商家や茅葺の家屋、裏通りの土蔵が建ち並ぶ街並みは、平成26年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

 宮坂さん、山口さんの案内で、商家の独特の外見や建物の中の様子を観察し、より具体的な説明を聴いて、熱心に見学していました。現在もしっかり保存されている街並みに、稲荷山の方々の誇りと熱意を感じたのではないでしょうか。さらに、宮坂さんの自宅でもある、昔料亭であった建物の中を見学したり、実際に木造の階段や廊下等を磨いたりする体験をしました。生徒は、黒光りする廊下や階段の床をじっくり見て・触れて、丁寧に磨く体験を通して、伝統を守る大切さと大変さを実感したようです

【棚田グループ】〈講師〉大谷善邦さん・塚田弘昭さん・野本洋子さん・金井実さん・塚原佐久子さん

 塚原弘昭副会長の案内で、姨石に上がり、長野市まで見渡せるパノラマに、秋の棚田風景を楽しむとともに、6月の出前授業で学習した「姨捨の棚田は、地すべりによってできた」ことを確認しました。厳しい残暑の中ですが、黄金色の稲穂が実った棚田のあぜ道を歩くと、快い風が吹き抜け、秋の訪れを感じました。

 姪石苑では、名月会の金井さんに棚田の稲づくりのお話を聴きながら、「月見荘」へと歩きました。今、豊かな実りを迎えた棚田は、金井さんをはじめ名月会の方々がご苦労されて守ってこられたことを感じ取ってくれたようです。月見荘では、野本さんの「姨捨伝説」の語りを全員で聴きました。よく知っている話ですが、塚原佐久子さんが奏でる琵琶の音色とともに、まさに「姨捨」の地で聴く「姨捨伝説」は、より深い味わいがあったと思います。

【戸倉上山田温泉グループ】〈講師〉小平悟朗さん・堀口鉄久さん・君島泰さん・荻原祥子さん・森義一郎さん・小野さん(荒砥城) 山崎さん(ステンドグラス) 

 「戸倉上山田温泉グループ」では、「荒砥城見学」「観光や集客等に積極的な取り組みを知る」「ステンドグラス体験」の3グループに分かれての学習でした。

 3グループが共通して見学したのは、「上山田温泉資料館」です。資料館では、6月の出前授業でも講師だった、上山田温泉株式会社代表取締役である小平悟朗さんが案内してくださいました。温泉の歴史や源泉を守るために千曲川堤防を丈夫なものにしたこと、団体の観光客が多く芸者さんもたくさんいて一番にぎわった時代の様子など、貴重な写真や資料を示しながら話していただきました。資料館の一角に射的があり、実際に的を狙い倒すことができたので、生徒に大人気でした。

 ➀グループが見学した「荒砥城」は、戦国時代に村上氏の一族が築城したと言われ、川中島の戦いでも武田・上杉両軍が奪い合った戦略上重要な城でした。荒砥城に登った生徒たちは、眼下の千曲川及びその両岸遠くまで見渡せる美しい景色に、戦国時代に思いをはせたのではないでしょうか。

 ➂グループでは、色ガラス板を一枚一枚つなぎ合わせて小物やアクセサリーを作る「ステンドグラス」体験をしました。観光客に人気のスポットです。実際に自分で作品を作る楽しい体験ができました。

 午後は、➀➂グループが一緒になり、上山田で飲食店を経営する森義一郎さんに、温泉街を案内していただきました。温泉を生かした病院として開院した国立長野病院の沿革や土産店など、温泉地ならではの場所を回って説明してもらいました。

 ➁グループは、「カラコロの湯」(足湯)において、人力車で温泉街を観光案内している堀口鉄久さんの話を聴いたり人力車体験をしたり、堀口さんの尺八演奏も聴きました。温泉街を盛り上げるため、ほぼボランティアで案内されていることを知り、観光客を増やすためのアイディアを考える生徒さんがいました。この間、半分のグループは君島園さんで、お茶ソムリエである君島泰さんからお茶について学び、おいしいお茶の入れ方を体験しました。お家で飲むお茶とはちょっと違ったようです。人力車体験とお茶の体験は、1時間ごとに交替しました。

 ➁グループの午後は、荻原館に行き、旅館の様々な部屋を見学したり、旅館業について女将の荻原祥子さんにお話を伺ったりしました。興味津々の生徒さんが多く、旅館業の大変さや生きがいなどについて質問したり、女将さんの特技まで披露していただいたり、大変盛り上がりました。 

 この1日の中で観たり聴いたり体験したりしたこと、また、翌日の上山田ホテルで「光明国民学校児童たちの学童疎開」について学んだことは、生徒にとって、学校では学ぶことができない貴重な学習ができたのではないかと思います。このことが、皆さんの未来に、少しでも役立ってくれれば幸いと思います。

 私たち、さらしなルネサンスの会員も、附属中の皆さんと一緒に歩いたり体験したりすることを通して、改めて地域の「すばらしさ」に気づいたり、今までと違う見方や考え方をしたりすることができました。私たちも、新たな「千曲市の宝」を探すことができたように思います。  (文責 児玉淳子)





坂城町の村上小学校で俳句の出前授業 月の都は自治体の枠を越えて(2022年7月7日)

 さらしなルネサンスは7日、千曲市の東隣、坂城町の村上小学校で、松尾芭蕉が立ち寄ったとされる同町網掛区の十六夜観月殿に刻まれた松尾芭蕉の俳句を題材に、俳句の出前授業(5年生と6年生それぞれのクラスで)を行いました。同観月殿にある芭蕉の俳句は「十六夜もまださらしなの郡(こおり)かな」で、この句はさらしなの月を見るためにだけに旅をして芭蕉がまとめた「更科紀行」の中に載っているものです。千曲市八幡の長楽寺あたりで名月を眺めた中秋十五夜の翌日、江戸に向かう芭蕉が同観月殿あたりで月見をして詠んだものとされています。

 出前授業を行ったのは元更級小学校校長の児玉淳子さん(さらしなルネサンス理事)。児玉さんは「更科紀行」をまんがで紹介する漫画家・絵本作家のすずき大和さんの本の場面をパワーポイントで映し出し、村上小学校の近くにも芭蕉が立ち寄ったことを伝えます。芭蕉の名前は知っていても地元に来て俳句を作ったことを知らない子が大半で、子どもたちはびっくりしていました。

 今回の出前授業には、傷んでいた十六夜観月殿の修復(2020年)にも携わった元教員で網掛区区長の小宮山峰男さんにも協力をお願いしました。観月殿の歴史をはじめ、現在も観月殿で俳句大会が行われていることなどを紹介してもらいました。小宮山さんが強調したことの一つは、「埴科郡坂城町」という言い方でなじんでいる地元を、芭蕉がなぜ、さらしなの郡(更級郡)と詠んだのかということでした。網掛区を含む現在の千曲川西側の一帯はかつて姨捨山(冠着山)のある更級郡で、更級郡の有名な景色を言う「更科八景」にも、十六夜観月殿が入っていることも指摘しました。「月の都」は歴史的には自治体の枠を越えており、地元の子どもたちにもっと俳句に親しんでもらいたいと小宮山さんはお考えのようでした(小宮山さんをはじめ十六夜観月殿の修復に携わった方々が今年度、本会の会員になっています)。

 俳聖として知られる芭蕉が地元に来たことを知ってもらった後は、子どもたちの実際の俳句づくり。575のリズムになじんでいない子もいます。児玉さんは、この夏の体験で「心に残った」ことなどを短い言葉で配布した用紙に書き出してもらい、その言葉を、別に資料として渡した季語一覧の用紙の中から季語を選び、指を折って575のリズムにしてごらんなどとアドバイスしました。児玉さんは14日にもう1時間使い、この日に子どもたちが作りかけた俳句を仕上げる出前授業を行う予定です。(大谷善邦)





さらしなの方言を出前授業に 手作りかるたを楽しみながら 更級小4年生(2022年7月5日)

 さらしなルネサンス理事の野本洋子さんとお仲間の方々が5日、さらしなの里で使われてきた方言の出前授業を、手作りかるたを楽しみながら更級小学校で行いました。方言は実際に語らないとその魅力が伝わらないと考えてきた野本さんは、かるたにすれば読み手も取り手も方言を口にすると気づきました。去年の春ごろから、聞いて口にして面白い方言を50選び出し、かるた用の無地の箱や札を購入し、プリンターで印刷。「さらしな方言かるた」をすべて手づくりしました。

 このかるたの特徴は、取り札には絵ではなく、方言が大きく書かれていることです。出前授業を受けた4年生は、机を教室から外に運び出し、6つのグループに分かれて、床に座り、野本さんの読み上げる方言(読み札)を聞き、並べた方言札を取り合いました。最初子どもたちは、方言の意味よりも取ることに熱心でしたが、野本さんが方言の意味を説明していくうちに、方言の言い回しやリズム、しらべにも関心が出てきました。担任の先生も面白い言い回しの方言に大きな声で反応したり、自ら口にしたりしてくれるおかげで、子どもたちの反応もどんどん熱くなっていきます。

 「おちょべ たれても なんにもでねよ―おちょべってどういう意味ですか?」。子どもたちは分かりません。「えぼつって およはんたべねで ねちまった」。「えぼつるの意味は?」と聞くと、ある子が「ふてくされる」と答えました。祖父母と同居している子には最初に手を挙げてもらったのですが、半数以上がそうだったので、いくつかは耳にしている感じではありました。

 50の札の読み上げが終わった後、かるたのどの方言が一番好きか言ってもらいました。ある子は「まてーにたべなきゃばちあたるど」。残さずに食べないと…という意味です。この子は学校の給食を残しがちなようです。別の子は「おめさんは どっから おいんなしたね」。ほかに「おしっこ まってくるから まってろや」「ごむせえ ざぶとんだが おすわんなして」「せんどなは ふんとにありがとごわした」などがありました。

 最後に子どもたちから感想をもらいました。「さらしなは方言が少ないと思ってたけど、かるたやってみたらいっぱいあって、全部覚えるのに何日もかかる」「いい方言があってよかった」

 授業後、片づけをしている野本さんたちのところに、女の子がやってきて「(自分は)あばなが一番好き」と言いました。「あばな」は「あばな またあした あそばずな」の初句、バイバイの意味です。人懐っこい子で、教室を出るときは「あばな」と言って手を振って別れました。この子は「おうちに帰ったら、家族に気に入った方言を披露してください」という野本さんの呼びかけに反応したようです。子どもたちはそれぞれどんなお気に入りの方言フレーズを持ち帰ったか。

 数人の子どもから「さらしな方言かるた」の実物が欲しいと言われました。販売はしていないのですが、地元住民団体の親睦機関誌「さらしなの里友の会だより」46号に、50の全取り札を掲載しています。ここをクリックすると、PDFが現れ、印刷もできます。

 野本さんは千曲市社会福祉協議会からも「さらしな方言かるた」を使った介護や介護予防の協力を要請されており、7月15日には介護現場のリーダー役の人たちによるこのかるたの活用講習会があるそうです。(大谷善邦)





屋代高校附属中への出前授業の詳報です―千曲市の宝さがし(2022年6月16日)





さらしなという里の名前をたくさんの人に伝えなさい 浅井洌さんが更級小校歌に込めた思い(2021年10月7日)

 「月の都」について更級小学校で10月7日に行った出前授業では、校歌1番から3番まで「月」が出てくる理由についても語りました。これは学校からいただいたテーマで、身近なところから「月の都」を知ってもらうチャンスだと考えました。更級小は自分が学んだ小学校で「さらしな」の地名の魅力を調べていくとき、校歌のことを調べたことがありました。作詞した浅井洌さん(県歌「信濃の国」作詞者)の「さらしな」への強いこだわりを感じたので、そのことを子どもたちに紹介しました。

 画像は授業で使ったパワーポイントのスライドです。右上に更級小の3番までの歌詞を載せています。1番は「月影てらす山と水」 、2番は「心の月の曇りなく」、3番は「月にみがきて更級の…」。それぞれ「月」が出てきます。ほかに3回出てくる言葉はありません。わたしは長野県の名所を紹介した「信濃の国」の4番に、浅井さんが更級小校歌に月をいくども登場させたヒントがあると考えています。

 画像左上、赤字の「月の名にたつ姨捨山」の部分で、この姨捨山は冠着山のことです。つまり冠着山は「しるき名所と風雅士が詩歌に詠みてぞ伝えたる」。月が美しい冠着山のことを特に長野県の名所として昔からたくさんの人が和歌や俳句にして伝えてきた、と言っています。

 浅井さんが「信濃の国」を作詞したのは1899年(明治32年)。更級小学校の校歌はそれから9年後(1908年)です。浅井さんは「月の名にたつ姨捨山」の冠着山を校歌の一番のしかも、いきなり歌わせる構成にしています。浅井さんは、「信濃の国」4番で書いたこと発展させ、月を3番までそれぞれ登場させたと考えていいと思います。

 浅井さんの更級小校歌が「信濃の国」の影響を強く受けていると分かるのが、校歌3番の最後の「里の名を世に伝うべし」です。信濃の国4番の「伝えたる」を受けて、「子どもたちよ、自分たちが生まれ育ったところはさらしなという歴史上とても重要な地名のところだから、世の中の人に語り伝えなさい」と言っているのです。そのくらい「さらしな」は浅井さんにとって魅力的な地名だっと考えられます。

 浅井さんは和歌にも詳しく、さらしなの里シンボルだった山が冠着山であることをよく知っていました。その直下の麓の小学校であるので、月をいくつも校歌に入れたと考えていいと思います。

 浅井洌さんと更級小校歌の関係については、更級への旅18号でも書いています。さらに詳しく紹介していますので、ご覧ください。(大谷善邦)





「田毎の月」って何?八幡小5年生に解き明かす(2021年9月30日)

「月の都」の魅力を子どもたちに紹介するさらしなルネサンスの出前授業第4回は,9月30日,八幡小学校で「さらしなおばすての俳句と田毎の月」をテーマに行いました。八幡小学校5年生を対象にした連続講座の3回目となる今回は,当会理事で元更級小学校長の児玉淳子さんがパワーポイントを使って授業を行いました。 

「田毎の月」が出てくる最も古い文章は,上杉謙信が武田信玄打倒を願って,八幡の武水別神社に捧げた文書「祖母捨山田毎潤満月の影」(おばすてやま 田毎に潤う満月の影)だそうです。

田毎の月は現実にはあり得ない現象なので「摩訶不思議」なのですが,それはどういうことなのでしょうか。以前に高校生が鏡を使って実験しましたが,田が斜めになることはないので,これは実際にはあり得ません。

ではどうして「田毎の月」なのでしょうか。それは,棚田の畦を歩きながら,田1枚1枚に映る月を見た人が,心の中で全部の田に映っていると感じたのかもしれないし,一か所に停まって田に映る月を見ていた人が,月が映る田が時間と共に変わっていく様子を心の中で全部の田に映っていると感じたのかもしれません。つまり「田毎の月」は自分の心の中にできた風景なのです。

時間と共に月が1枚1枚の田を動いていきます

子ども達は今回もとても熱心に学習していました。積極的に感想を発表してくれ,学んだことが身についていることがよくわかりました。

八幡小学校5年生の皆さん。3回の出前授業を受けていただきありがとうございました。これからも郷土に関心を持ち続けて,故郷を大切にする人になってもらいたいと願っています。

さらしなルネサンスでは,この後10月に更級小学校で三日間出前授業を行います。

 
 
 
 
 




棚田ができたわけ、稲刈り前に出前授業(2021年9月21日)

「月の都」の魅力を子どもたちに紹介するさらしなルネサンスの出前授業は、9月21日、八幡小学校で「姨捨に棚田ができたわけ」をテーマに行いました。16日の「千曲市が月の都のわけ」に続き、5年生が対象。当会副会長で信州大学名誉教授の塚原弘昭さんがパワーポイントを使って話しました。

 八幡小学校の校舎の窓からは、姨捨の棚田が真正面に見えます。5年生はあすの22日、棚田の稲刈り学習に行くことになっており、とても良いタイミングでした。目の前に広がる広大な棚田は、昔の地滑りでできたもので、地滑りの起きた最初の部分に水が溜まって大池となり、これが棚田をうるおす水として2000枚以上の棚田が出来上がったことを説明しました。自分で手書きしたイラストタッチの説明図をスライドにしたり、小学生が習う漢字を使うなど、子どもたちへの授業だという配慮がなされていました。棚田の中にある長楽寺の巨大な姨岩(おばいわ)も、地滑りで上の方から運ばれてきたことを説明すると、一緒に聞いていた先生からも「へえそうなんだ」という驚きが出ていました。

 八幡小学校でのルネサンスの出前授業は、あともう1回、30日にあります。「田毎の月って本当に見られるの?」がテーマです。

 下の写真は八幡小校舎3階から見える棚田と冠着山の景色です





第2回出前授業は八幡小学校 地域の銘菓「うづらもち」も話題に(2021年9月16日)

9月16日(木)に千曲市立八幡小学校で,さらしなルネサンス大谷善邦会長の出前授業を行いました。テーマは,千曲市はなぜ「月の都」なのか,でした。子ども達は授業が始まると一気に集中し,会長の問いかけにも良く反応し,「月の都」についての理解を深めました。話が始まると熱心にメモを取る姿も印象的でした。びっしり書いたメモを読むと話の内容がよくわかります。最後に「おもしろさらしな写真コンテスト」の紹介をしました。そこでは,地元の銘菓「うづらもち」の写真と会長のひとことが紹介されました。子ども達の雰囲気が一気に和んだ時間になりました。八幡小学校の帰りにうづらもちを買いました。

素晴らしいメモです

感想を発表してくれました

うづらもち 10個入り 経木に包んであります





第1回出前授業をリモート開催 屋代中1年生が地域学習で「月の都の訳」を学ぶ(2021年8月31日)

さらしなルネサンスの今年度事業の柱の一つである「出前授業」の第1回を,屋代中学校1年生対象にリモートで行いました。本来ならば直接学校に出向いて授業をしたかったのですが,感染症対策ということでリモートで行いました。大谷善邦会長が授業者で,テーマは「千曲市はなぜ『「月の都』なのか?」でした。初の試みでしたが熱心に聴いてくれる中学生の姿に感心しました。子ども達も興味を持てたようです。質疑では「埴科,信濃,更級の『しな』という言葉は同じなのになぜ漢字は違うのですか」という質問が出で,「しな」という呼び方についての理解が深まりました。今後も出前授業をリモートで行っていく予定です。

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