さらしなの里のシンボルである冠着山(姨捨山)。尾根を両翼に従える優美な姿なので、この山が火山だったと思っている人は多いと思います。ふもとの更級小学校で学んだ明治生まれの祖母は「冠着山が噴火すると言われて避難訓練をしたことがある」と言っていました。ところが…という説を耳にすることがあり、本当のところはどうなのか。地震学・地質学が専門の信州大学名誉教授で、冠着山麓の明徳寺住職の塚原弘昭さんに答えてもらいました。
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頂上は溶岩、原始千曲川や雨に削られ今の姿に
冠着山の麓で育った私は、幼いころ、家の正面に見える冠着山は火山(活火山ではないが)だと教えられた覚えがある。友人に聞くと、ほとんど全員そのように教わったといっている。頂上が溶岩でできているうえに、山が兜のような形をしているので、このような形の火山は典型的な「トロイデ(溶岩円頂丘)火山」だ、とまで言われて疑いなく火山だと信じていた。
ところが、成人して地学を専門に研究する立場になって、冠着山の成因を考えてみると、幼いころの知識は正しくないことが分かり、びっくり。
冠着山の頂上は溶岩(安山岩)でできていることは確かで、また、頂上付近でも東側に児抱岩(写真 ぼこだきいわ:「ぼこ」とはこの地方の言葉で赤ん坊のこと)、北側に屏風岩や久露滝(くろたき)を造っている岩など、目につく岩はみな溶岩である。「冠着火山」から噴出したはずの溶岩や火山灰は山麓には見えない(転がり落ちてきたものは除いて)。山麓は、海に堆積した砂や小石、他の火山の火山灰などの地層からできている。頂上だけが溶岩なのである。
上のイラストの「冠着山の浸食図」をごらんいただきながら、次をお読みいただきたい。冠着山の山頂を造る溶岩(安山岩)が冷却したのは、およそ550万年前だということはわかっている。火山活動が停止して500万年以上も経つと、雨量が多く地殻変動の激しい日本では、山は削られ、隆起・沈降もあり、山の形は大きく変化し、元の形はほとんど残っていないのが普通である。例えば、50万年前には今の善光寺平(長野盆地)はまだ影も形もなかった。
火山の活動でできた高まりが目に見える山を「火山」(その内で、生きている火山は活火山)という。火山だった時代の冠着山は、雨に加え、当時冠着山の一帯を流れていたとみられる千曲川の水の流れにも浸食され、現在ほとんど全部削られてしまっている。現在の冠着山は、火山の活動でできた高まりではなく、冠着火山の溶岩の一部と、その周りの、冠着火山が噴火する前からあった地層が、山の形に削り残されて山になっている。したがって、この山(冠着山)は火山とはいえない。
ほぼ南北に細長く伸びる善光寺平の南端に、その伸びを止めるように冠着山が居座っている。善光寺平は日本最大級の広さと長さを持つ盆地である。冠着山の頂上からは、この長い盆地の南端から長く伸びた方向を一望できる。逆に、この盆地の北に位置する長野市善光寺の辺りから南方を望むと、伸びた盆地の先に、遠くかすんで見える山並みの中で一番大きく見えるのが冠着山である。南方のかなた、逆光の中にかすむ、暗いどっしりした山、この山に入ったら自力では帰ってこれそうもない山、冠着山が棄老伝説の姨捨山とされるにふさわしい(?)山の姿でもある。(塚原弘昭)