科野(しなの)の森将軍塚古墳が小学校の教科書に載っています!

将軍塚・見開き

小学校の社会科の教科書に、千曲市屋代の森将軍塚古墳が載っているのをごぞんじでしょうか。出版社の光村図書が小学6年生向けにつくった「社会6」(平成26年2月発行)です。
「社会6」は日本の歴史を1年をかけて学んでいく構成で、 森将軍塚古墳が登場するのは、「強まる天皇の力と貴族の文化」という大きなテーマの直前の歴史として、古墳が各地につくられるようになった訳を考えるページです(写真)。古墳を南から撮影した写真と、上空から映した写真がそれぞれ載り、「森将軍塚古墳は、4世紀後半に、この地方(長野県)にあったくにの王の墓といわれています」と説明が添えられています。古墳がある場所は「長野県」とだけ記され、残念ながら千曲市の名前はありません。
しかし、大阪や奈良にのちの大和朝廷につながる巨大古墳ができる前の日本を代表する古墳として紹介されています。森将軍塚古墳は分かっていないことが多いのですが、のちに信濃国に発展していく「科野」と呼ばれた地に大きな勢力を持った人物の墓と考えられています。
「科野」は長野県千曲市の屋代や雨宮や森、倉科など一重山(ひとえやま)以北の旧埴科郡一帯を指して使われた古代の呼び名と漢字です。千曲市の2016年からの観光振興計画でも、「さらしなの里」と並ぶブランド地名と位置づけられています。全国で使われている小学校の教科書で、千曲市の遺跡が学ばれているのは大変、名誉なことです。「科野 さらしなの里 千曲」という観光振興計画の将来ビジョン、さすがです。
光村図書のこの教科書を日本のすべての小学校が使っているわけではありませんが、小学校の教科書に載るほどに森将軍塚古墳は価値があるということです。もっとインターネットなどで、知りたい人が手軽にたどりつけるよう情報を提供していくべきです。
小学生の教科書に森将軍塚古墳が載っていることを教えてくれたのは、千曲市仙石在住の元小学校長で現在は信濃教育会にお勤めの小松信美さんです。科野とさらしなの関係については次のサイトもごらんください。http://www.sarashinado.com/2014/02/07/shinano/ (大谷善邦)

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