
ちょうど一年ほど前、信濃毎日新聞の囲み記事に、新しく松代藩の領主となった真田信之が京都にいる「お通」に宛てた手紙に「今度新しく私の領地になった、更科という所に「田(事)毎の月」という名所がある」と、自慢しているとのくだりがありました。
先日、会長の大谷さんから国会図書館にあったその手紙の全文を紹介いただき、信之が「田毎の月」以外にも自慢したかった名所がわかりました。中に市内にある「倉科の阿かしの松」があり、興味がわき、早速、倉科の郷土史研究家の町田直幸(「倉科の里ガイドブック」編纂委員長)をお訪ねした。そして、一昨年度末発刊したばかりのガイドブック「倉科の里」いただき、そこにある「阿かしの松」についての記述(写真)をとりあえず掲載させていただきます。
なお、引き続き町田さんにご指導いただき、何故に「阿かしの松」が、信之の誇りに思う名所であったかを詳しく調べたいと思います。(馬場條)