歌から始まった「月の都」 坂城中学校の「学びほぐしタイム」に行ってきました

 「月の都」について話す機会を11月10日、千曲市の東隣の坂城町で得ることができました。坂城中学校の「学びほぐしタイム」です。勉強に疲れた頭をリフレッシュするという坂城中学校独自のカリキュラムで、生徒だけでなく地域の大人も参加していいというものでした。酒井賢一校長から機会をいただきました。

 お隣の千曲市のことにそもそもそんなに関心があるか心配で、なるたけ坂城の方にも身近になればと思いました。さらしなの里の美しい月が全国の人に知られていくきっかけになったのが、今から1100年前には詠まれていた「わが心慰めかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て」という歌で、その歌は現在の短歌と同じメカニズムで人々の心を動かしたり、刺激したりしたということをお伝えすることにしました。

 「わが心慰めかねつ」の歌よりさらに昔、今から1300年前の奈良時代、坂城町が所属する埴科郡の神人部子忍男(みわひとべのこおしお)という男性が詠んだ歌が万葉集に載っています。「ちはやぶる神のみ坂に幣(ぬさ)まつり斎(いわ)ふ命は母父(おもちち)がため」。防人として都や九州に行く旅の途上、阿智村と岐阜県中津川市の境にある神坂峠(みさかとうげ)で、両親のためにも無事に帰ってこようという切実が思いが込められています。

 。のような思いを短い言葉で表現したことで、読んだ人には、その思いが伝わりやすくなります。「わが心慰めかねつ」の歌も、老いや死という人間共通の根源的なかなしみをうつくしい調べにしたことで、大和物語の姨捨説話や世阿弥の謡曲「姨捨」、芭蕉の俳句「俤や姨(おば)ひとりなく月の友」という芸術作品を生み出しました。

 「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」。普段のことばで、ういういしい恋の一場面を切り取った俵万智さんの短歌も、神人部子忍男さんの歌や「わが心慰めかねつ」の歌の延長上にあることを紹介しました。40年近く前の歌ですが、生徒には、こういうのも短歌になるんだと印象に残ったようでした。

 酒井校長からいただいたテーマは「月の都とは何か」というもので、大きすぎると思ったのですが、「日本人の心を映し出してきた月と歌」というサブタイトルを入れることでなんとか話してみようと思いました。「月の都」には、田毎の月、姨捨の棚田にとどまらない歴史の厚みがあります。さらしなルネサンスのスローガンを「月の都・千年文化再発見の里づくり」とした理由です。「わが心慰めかねつ」の歌にもっと注目することが「千年文化再発見」にもつながると思います。

 酒井校長は生徒たちに今回の「学びほぐしタイム」への参加を、自分でも短歌を作って呼び掛けてくださいました。

 月光の まぶしさ僕に 夢そそぐ ダークサイドに 落ちるな君 (酒井賢一)

 とても若々しくてびっくりしました。

 「学びほぐしタイム」で見ていただいたパワーポイントのスライド、よろしければ次をクリックしてごらんください。坂城中「月の都」パワーポイント

 「わが心慰めかねつ」の歌については次のサイトもご覧ください。更級への旅31号76号78号240号248号249号

(大谷善邦)

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