坂城中学校で11月10日にあった「学びほぐしタイム」では、松尾芭蕉が立ち寄ったともされる坂城町網掛(あみかけ)の十六夜(いざよい)観月殿の修復に携わった方にお目にかかりました。網掛区の代理区長、清水政紀さんで、昨年、修復が終わり、その記念に作ったA4サイズ、8ページの冊子をいただきました。十六夜観月殿には、さらしなの里に芭蕉が旅をしたときに作った「十六夜もまださらしなの郡(こおり)かな」(「更科紀行」所収)の大きな句碑が建っており、そのほかにもたくさの俳人の句碑があります。冊子は、修復の経緯や観月殿の歴史を写真をたくさん使って見せています。句碑の内容を写真と紹介するA4の1枚も差し込んであり、この1枚を持っていけば読みにくくなっている字の解読もできます。手軽に読める大変、使い勝手のいい案内冊子だと思いました。
いまでも中秋のころには、観月殿で俳句を詠んだり、披露したりする集まりがあり、観月殿への愛着は相当なものがあるようです。全国各地で歴史的に価値があっても修復や保存が難しい建物がありますが、冊子を読むと、観月殿ももともとはその一つでした。足りない費用を長野県の元気づくり支援金を活用しようと計画を作ったのですが、観月殿の所有者が明確でないとして、最初は認められなかったそうです。そのため、地元の網掛区では、区民総会で法人格を取得することを決め、不動産登記も行い、区の所有とすることで、元気づくり支援事業として認められたそうです。
坂城町の中央を流れ千曲川の西側はかつて更級郡だったところです。網掛区も坂城町と合併するまでは更級郡で、十六夜観月殿が「更科」の地名を詠みこんだ芭蕉の俳句を大事にしているのを、ずうっとうれしく思っていました。「十六夜もまださらしなの郡かな」という句は、さらしなの里の姨捨で十五夜の月を見て、その翌日の感慨を詠んだものですが、翌日もさらしの里で良い月を眺めることができたのかもしれません。さらしなの美しい月を二日も連続で見ることができた、あるいは月が美しいさらしなの里にまだいられることがうれしくて仕方がなかったのかもしれません。
小林一茶にもさらしなの里で中秋の名月を見てつくったこんな俳句があります。
一夜さはわれさらしなよさらしなよ
さらしなという地名の美しさを一茶が感じていたからできたものだと思います。
十六夜観月殿と、一茶の俳句については次のサイトもご覧ください。更級への旅65号、更級への旅79号
(大谷善邦)