千曲市が6月19日、「月の都」として文化庁から日本遺産に認定されました。日本遺産は、自治体が指定する文化財や文化財に値するものを一つのキーワードと物語でつなげてPRするもので、文化庁が特に海外の観光客を各地に誘導しようと始めた事業です。千曲市にはすでに「田毎の月」で知られる国の重要文化的景観「姨捨の棚田」がありますが、これだけだと周辺の文化財や観光スポットに人がなかなか流れないため、千曲市は「月の都」をキーワードに全体の観光資源の魅力を底上げようとしています。
これまでに調べた範囲だと、当地が「月の都」とみなされるようになったのは、古くは平安末期から鎌倉時代を生きた藤原定家(ふじわらのていか)の和歌にさかのぼります。
はるかなる月の都に契りありて秋の夜あかすさらしなの里
京の都から遠く離れたさらしなという「月の都」とわたしは縁があるようだ、秋の夜の月を都で眺めていても、更級の月のことが思われてならないと読めます。定家は新古今和歌集と百人一首の選者でしたから、この歌を読んだ周囲の人や後世の人たちは「月の都」と表現された「更級」へのあこがれや想像を膨らませたでしょう。
「月の都」は和歌や俳句に登場することが多いのですが、それはほとんどが「さらしな」との組み合わせです。ですから歴史的には「月の都」と言えば「さらしな」なのですが、合併の際の新しい市名で「更科」は市民投票の結果、小差で敗れ「千曲」となったので、行政が主導する日本遺産の性格上、千曲が「月の都」となるのもやむをえないところがあります。当地の月を美しく見せる舞台の鏡台山は埴科郡、そしてその月をさらに美しく見せるのが千曲川ですから、千曲市を「月の都」に位置づけてもおかしくはありません。
今回の日本遺産認定で国からも助成金が出て、取り組みが行われます。「月の都」は、棚田という部分だけでなく、対岸の鏡台山、千曲市を貫く千曲川、そして旧更級郡域といった奥行きと広がりのある全体的な空間をさしています。日本遺産としての「月の都」の実体をつくり、多くのリピーターがいる地域にするためには、「さらしな」の地名は絶対的に必要で効果的です。さらしなを詠んだ、無形文化財である和歌や俳句、短歌などが、当地を「月の都」と自信をもって紹介していくときの最も有力なエビデンス(証拠)だと思います。(大谷善邦) 画像は6月19日付信濃毎日新聞
★当地と「月の都」の関係について詳しくは次をクリックしてご覧ください。
・「月の都」の称号が与えられたさらしな(さらしなの里ガイド冊子「美しさらしな」11ページ)
・明治時代に活気づいた「月の都」(更級への旅107号)