さらしな月のすごさを演出した川東山地ーさらしな学ウーキング

日本の景観遺産(重要文化的景観)である「姨捨の棚田」とその周りの景観はどのようにできたのか。現地を歩きながら体で感じようという第2回さらしな学わくわく講座が6月29日、開催されました。案内役は地学団体研究会長野支部会員で信州大学名誉教授の赤羽貞幸さんと塚原弘昭さん。さらしなの里と姨捨の関係で特に印象に残ったお話は、姨捨地区から見える旧埴科郡(川東)の山や平地の成り立ちについてでした。

さらしなの里がある信州千曲市は、姨捨の棚田のある旧更級郡(川西)と千曲川を挟んで向こう側に広がる旧埴科郡(川東)で構成されていますが、この地形は約1000年に一度起きてきた大地震によってできたものだそうです。そのたびに川西の山地は約1㍍隆起、川東は約1㍍沈降。それによってできた高低差に土砂や砂利が流れ込んだ姿が千曲市の平地です。

しなの鉄道に乗ったり、国道18号を走っていると、川東の山が屏風のようにそびえたっているのを感じますが、これは大地震のたびに沈降してきたため。隆起するたびに流れ下る川の水で谷が形成されてきた川西の山地とは異なり、谷が形成されなかったのだといいます。

お話を聞いて思ったのは、この川東の山地の地形や景観があることも、さらしなの月のすごさを世の中に知らせることになったのではということです。さらしなの里の月はいつも川東の山地から現れます。姨捨を訪ねた人は、横長に広がるこの山地を月が登場する巨大なステージ、舞台のように感じてきたのではないか。この山地がさらしなの月を演出したのです。そしてその一番の演出役が旧埴科郡を代表する山の鏡台山(きょうだいさん)だったのです。

ウオーキングは姨捨観光会館の駐車場を出発、長楽寺の大岩「姨石」に上がりました。この岩は背後の三峯山(みつみねさん)の崩壊と地滑りによって運ばれてきたものだそうです。JR姨捨駅に隣接する姨捨公園に上がり、千曲市を含む善光寺平の地形と景観がどのようにできたのかを学びました。そして姨捨の棚田を下り、地滑りの跡やこの棚田の米がなぜおいしいのかなどについて教えてもらいました。

詳しい姨捨の棚田の成り立ちについては、塚原さんの講演会「さらしな・姨捨」棚田の成り立ち解き明かす」をクリックしてご覧ください。姨捨の棚田の米がおいしい理由についての説明もあります。

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