長谷寺、開眼寺がそこにある訳は?-地学専門家が紹介

 長野市民新聞に、信濃三十三番札所のお寺とそのお寺がある場所のなりたちや特徴を紹介する連載がのっています。さらしなの里の長谷寺(はせでら、長野市塩崎)と開眼寺(千曲市八幡中原)もとりあげられました。紹介者は、地学の研究者や愛好者による学術団体「地学団体研究会」に所属する信州大学名誉教授。

 今から1400年前の飛鳥時代の白助(しらすけ)の開創とつたわる長谷寺は、お城のようにりっぱな石垣のうえに観音堂があるのが特徴ですが、その石をはじめ境内の石段、石碑は、歌碑などは周辺の斜面に噴出する地元産の「裾花凝灰岩層」から採掘したものだそうです。開眼寺は江戸時代、西日本の人たちが善光寺参りする道として使った北国西街道沿いにあります。さらしなの里の、山と平地のちょうどあわいに位置していますが、この場所は、この地域が海底から隆起して陸地になった約500万年前に噴出した「桑原火山岩」の先端部分だそうです。

 なお、長谷寺の開祖が白助(しらすけ)であることは、さらしなの里の地名となんらかの関係があるようです。来年(2019)になりましたら、さらしな学わくわく講座で紹介する予定です。

上部へスクロール