第1回さらしな学講座詳報ー里のシンボル昆虫「冠着ヒメボタル」

 さらしなの里の魅力を面白くいろいろな角度から紹介する「さらしな学わくわく講座」の第1回は7月28日、千曲市の姨捨観光会館で、冠着山頂上の「冠着ヒメボタル」をテーマに開催しました。冠着ヒメボタルを初回に取り上げたのは、姨捨山の異名を持つ冠着山が千年以上前からさらしなの里のシンボルであり、そのシンボルの頂上に光を放っているホタルがいるというロマンからです。ちょうどこの時期は冠着ヒメボタルが出現する時期でもあります。講師は信州大学特任教授(動物生態学)の藤山静雄先生。藤山先生の講演などをお聞きし、冠着ヒメボタルは、さらしなの里の歴史文化と自然両方の象徴(シンボル)であると言っても過言ではない昆虫であると感じました。(ここにアップしたヒメボタルの幼虫、蛹、成虫の写真は藤山先生から提供していただいたものです)
 ホタルは川にいるものと思っていたので、川がない冠着山の頂上に、ホタルが舞うと聞いたとき、本当かどうか不思議に思いました。しかし、2008年年、冠着山麓在住の中澤厚さん(千曲市羽尾5区)が、その舞う様子を文章にしたことから、実際に行ってみたところ、見事に舞っていました。中澤さんが見たのは羽尾5区と同4区の祭典係の人たちが毎年7月27日、頂上の冠着神社で一晩泊まって過ごすおこもりをしていたときで、祭典係の人たちは毎年見てきたことになりますが、ふもとの人たちにの広く知られるようになったのは、最近のことです。(中澤さんの文章は次をクリックしてください、さらしなの里友の会だより19号
 中澤さんが書いているように、冠着山頂でホタルが舞うことを知ったときに思い起こしたのは謡曲「姨捨」です。「姨捨」は山に捨てられた老女が中秋になると山頂に姿を現し、月の光を浴びながら舞うというお話です。夏と秋と季節は違いますが、「姨捨」は冠着ヒメボタルの舞いを見た人の話がもとになってできあがったのではないか。「姨捨」が今の物語となったのは早ければ世阿弥がこの謡曲を作った今から約700年前の室町時代ですから、冠着山のヒメボタルのことはそれより前から都に知られていた可能性もあります。
 藤山先生に講演をお願いしたのは、冠着ヒメボタルの発見以来、幾度となく冠着山に上り、実際に様子を観察した方だからです。藤山先生によると、ヒメボタルはゲンジボタル、ヘイケボタルと並び、実は日本三大ボタルの一つ。林の中にいることが多いので、夜間に山を歩くような生活はなくなった現代では知らない人が多くなったと考えられます。人魂とか狐の嫁入りとかも林の中に舞うヒメボタルたちの光をそのようなイメージでとらえた可能性もあるということです。
 ヒメボタルの特徴は、ゲンジやヘイケに比べ体長が6~8ミリと小さく、光も瞬間的に強い黄色い光を放ちます。水が流れる川でなくても、湿り気が多く、下草もよく生えていろいろな植物があるところであれば生息ができるそうです。幼虫は陸生巻貝やミミズなどの小動物を食べ、春から初夏に落ち葉の下や土の中にもぐり、そこで蛹になり、羽化するそうです。一番の特徴とも言えるのが、メスは飛べないことです。メスは羽が退化して、地面を歩くだけで、その上をオスが舞います。ホタルが光を放つのは、オスとメスが出合い、子孫を残すためですが、メスが歩くことしかできないとなると、遠くまで移動することが難しいので、一度すむ環境が悪くなってしまうと、復活させることが難しいそうです。藤山先生は、このことを繰り返し強調し、冠着ヒメボタルが住み続けていける自然環境の保全をうったえました。
 不思議な生き物なので、藤山先生に質問しました。一つは陸生とはいえ、えさとなる巻貝がなぜ冠着山の頂上にもいるかです。動物はすめる可能性があれば生息域を広げるものなので、冠着山頂上直下の平坦地である坊城平付近には水が出ているため、ここからほかにも水があるところへと生息域を頂上に広げた可能性があります。冠着山は独立峰なので、頂上付近は雲や霧が発生し、湿り気が高い環境であることも影響していると考えられるそうです。
 もう一つ、一般的にホタルの体はメスのほうがオスより大きいのに、ヒメボタルはオスのほうが大きい理由です。藤山先生によると、飛べないので地上にしかいられないメスに発見されやすいようにオスの体が大きくなった可能性もあるということです。体が大きいと放つ光も大きくなります。はっきりしたことはまだわかっておらず、研究テーマだとおっしゃいました。
 また藤山先生には以前、千曲市羽尾4区で講演をしてもらったことがあります。その様子は次をクリックするとご覧になれます。更級への旅202号(大谷善邦)

 

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