長野市の篠ノ井にある長谷寺は、「日本三所長谷観音」と古来称されます。
この寺のある地域は昭和40年頃までは、「更級郡塩崎村」でした。ですので、今では『長野市篠ノ井の長谷観音』と呼ばれていますが、長い長い間、「信州更級の長谷観音」と呼ばれてきたのです。
ところで、奈良、鎌倉の長谷観音と並び称されているお寺なのですが、奈良と鎌倉の長谷観音は、いまさら紹介するまでもなく、とても有名です。それに比べると、いかがでしょう。長野の長谷観音は、いささかというか、知名度ではかなり劣るように思われますね。
そもそも「長谷寺(はせでら・ちょうこくじ)」ないし「長谷観音」などと呼ばれる寺は、日本全国に250ケ寺ほどあるそうです。そのような数ある長谷観音の中で、どうして信州更級の長谷観音が「日本三所」に数えられるのでしょうか。知名度もそんなにないないのに。。。
それは、数ある長谷観音の中で、この信州の長谷観音が『もっとも古い』と伝えられているからです。このことは、他ならぬ奈良の長谷寺(真言宗豊山派総本山)が所蔵する鎌倉時代の古文書『長谷寺験記』に信州更級郡の長谷寺が紹介されていて、そこには奈良の長谷寺が建立される100年前にご利益を授かって信州の長谷寺が建立されたと書かれています。
そのように『もっとも古い長谷観音』ということによって、いつの頃からかは分かりませんが、信州の長谷観音は、奈良、鎌倉という別格の名刹と並び「日本三所」または「日本三長谷」と称されてきたものと思われるのです。
しかし、最近、単に最も古いというだけで、「日本三所」と称えられたりするだろうか、と少し疑問に思うようになりました。古いだけではなく、もっと「日本三所」と称されるに値するふさわしい理由があったのではないか、と。
そして、やはり思い至るのは、ここ「更級」とい土地が、奈良、鎌倉という全国にその名の轟くの地名と比べても劣らない、いやむしろ往古の人々にとっては、奈良や鎌倉以上に憧れたスーパーブランドの地であったからこそ、国中に広がった長谷観音信仰のトップスリーの一角を占めるようになったのではないでしょうか。
平安時代も中期からは、奈良の長谷詣では大変流行します。それによって、全国各地に新長谷寺が建立され、その信仰も広がっていきます。そのような長谷観音信仰の広がりの中で、数ある長谷観音の中で『もっとも古い長谷観音』が、奈良でも鎌倉でもほかのどこの地でもなく、信州の更級の長谷観音であるということは、更級のという土地が人々を引きつけて止まない魅力、「更級・姨捨の月」というイメージの中で醸し出される、美しく清らかな土地の魅力、宗教的な力が、傑出していたからではないでしょうか。
だからこそ、いつのころからか、人々は、奈良、鎌倉とともに、更級という土地に寄せた格別の憧れを踏まえて信州の長谷観音を『日本三所』に数えたのでしょう。
(岡澤慶澄)