今から1000年以上前、都(みやこ)と善光寺、日本海をつなぐ国道の支道がさらしなの里を通っていました。国道は東山道(とうさんどう)と呼ばれ、旧坂井村(現筑北村)から冠着山(かむりきやま)の北西側の峠(古峠)を越え、現在の御麓(みろく)区に下って行ったという説が有力です。その古峠(ことうげ)越えの道は昭和の中ごろまでは薪とりの道として使われていたのですが、薪が燃料として必要がなくなると、誰も通らなくなってしまいました。道沿いの山中には大岩に抱かれた馬頭観音が鎮座し、休憩場所としてもすばらしい空間が広がっています。これを地元の「冠着山の自然と文化遺産を保存する会」が2014年に復元し、今年も5月7日、草刈りなどの整備を行いました。
今回の整備では大変うれしいことがありました。ワタクボという地籍にあることから、ワタクボの馬頭観音と地元では呼んでいるのですが、その足元に世界文化遺産になっている和歌山県那智勝浦町・那智山の青岸渡寺の修験道のお札が供えられていました。しかも、お札の中央には冠着山、両隣に姨捨山、更級山と墨書きされ、冠着山の多様な呼び名に関する歴史文化をふまえたお札です。
これを見て、さらしなルネサンスが主催した昨年6月の冠着山修験登山の企画を思い出しました。さらしなの里のシンボルで信仰の対象だった冠着山の魅力をもう一度見直すのが狙いだったのですが、かつて冠着山にあった修験道の世界をよみがえらせようと、企画に協力してくれた現役修験者の方が、お札を供えてくださいました。そのことを知っている人が、ワタクボの馬頭観音を訪ねてくれたのでは…と想像しました。
復元に最初に取り組んだときはすごいやぶ。「ようやく道らしく歩きやすくなってきた」と作業にかかわったみなさんが言っていました。この道もふくめ、千曲市川西地区振興連絡協議会がさらしなの里のウオーキングマップの制作に取り組んでおり、まもなく出来上がる予定です。