さらしなの里には昔から多くの歌人や俳人がやってきました。江戸時代の松尾芭蕉は「更科紀行」を残し、特に有名です。ではそれより500年前の平安時代の歌人の西行はやってきたのでしょうか。
さらしなの里にまつわる西行の歌に「姨捨は信濃ならねどいづくにも月澄む峰の名にこそありけれ」(岩波文庫「西行全歌集」=2013年発行=に収載)があります。月が美しく見える山を見ると信濃の姨捨山のことが思い浮かぶことを詠んだもので、信濃の姨捨山への西行の関心が大変強かったことがわかります。となると、余計西行が当地に来たのか知りたくなります。
今のところはっきりしたことは分かりませんが、「西行の杖突桜(つえつきざくら)」があったという伝承がさらしなの里の千曲市桑原にあります。佐野薬師というお寺です。昨年春先、千曲市川西地区振興連絡協議会の山口盛男さん(現副会長)にお願いして案内してもらいました。地元の伝承によると、佐野薬師はもともとは佐野山医王院といい、ご本尊は薬師如来で、奈良時代の僧侶の行基によって造られました。特に目の病気を治す力があり、お堂の前の池には目に悩む人の身代わりになった片目のドジョウが住み、「西行の杖突桜」があったそうです。
今は西行の時代から900年以上たちました。900年を感じさせる桜の大木はありませんが、お堂と池の周りに桜の木がたくさんあります。杖突桜というのは、都からやってきた西行が佐野薬師で杖をおいて休憩したので、桜の花を生涯愛でた西行にちなんで桜の木を植えたのか? とすると、現存する桜はその子孫?
佐野薬師のある場所は桑原地区の上方の高地にあり、大変眺めの良い場所です。善光寺平、冠着山、鏡台山、千曲川…さらしなの里を代表する景観が望めます。西行と同じ時代の木曽義仲が京都に上っていったときに通った道沿いなので、西行がさらしなの里に来たとしたら、ここに立ち寄ってもおかしくはありません。近くには「仏供殿(ぶっくでん)」という仏教を大事にした屋敷があったことを強く感じさせる地名も残っています。山口盛男さんに案内してもらったときに撮影した写真を下にのせました。西行の杖突桜のことを教えてくれたのは長谷寺(長野市塩崎)の岡澤慶澄住職です。(大谷善邦)