「月の都」について更級小学校で10月7日に行った出前授業では、校歌1番から3番まで「月」が出てくる理由についても語りました。これは学校からいただいたテーマで、身近なところから「月の都」を知ってもらうチャンスだと考えました。更級小は自分が学んだ小学校で「さらしな」の地名の魅力を調べていくとき、校歌のことを調べたことがありました。作詞した浅井洌さん(県歌「信濃の国」作詞者)の「さらしな」への強いこだわりを感じたので、そのことを子どもたちに紹介しました。
画像は授業で使ったパワーポイントのスライドです。右上に更級小の3番までの歌詞を載せています。1番は「月影てらす山と水」 、2番は「心の月の曇りなく」、3番は「月にみがきて更級の…」。それぞれ「月」が出てきます。ほかに3回出てくる言葉はありません。わたしは長野県の名所を紹介した「信濃の国」の4番に、浅井さんが更級小校歌に月をいくども登場させたヒントがあると考えています。
画像左上、赤字の「月の名にたつ姨捨山」の部分で、この姨捨山は冠着山のことです。つまり冠着山は「しるき名所と風雅士が詩歌に詠みてぞ伝えたる」。月が美しい冠着山のことを特に長野県の名所として昔からたくさんの人が和歌や俳句にして伝えてきた、と言っています。
浅井さんが「信濃の国」を作詞したのは1899年(明治32年)。更級小学校の校歌はそれから9年後(1908年)です。浅井さんは「月の名にたつ姨捨山」の冠着山を校歌の一番のしかも、いきなり歌わせる構成にしています。浅井さんは、「信濃の国」4番で書いたこと発展させ、月を3番までそれぞれ登場させたと考えていいと思います。
浅井さんの更級小校歌が「信濃の国」の影響を強く受けていると分かるのが、校歌3番の最後の「里の名を世に伝うべし」です。信濃の国4番の「伝えたる」を受けて、「子どもたちよ、自分たちが生まれ育ったところはさらしなという歴史上とても重要な地名のところだから、世の中の人に語り伝えなさい」と言っているのです。そのくらい「さらしな」は浅井さんにとって魅力的な地名だっと考えられます。
浅井さんは和歌にも詳しく、さらしなの里シンボルだった山が冠着山であることをよく知っていました。その直下の麓の小学校であるので、月をいくつも校歌に入れたと考えていいと思います。
浅井洌さんと更級小校歌の関係については、更級への旅18号でも書いています。さらに詳しく紹介していますので、ご覧ください。(大谷善邦)