第5回さらしな学わくわく講座は2月23日、昭和初期に作られた長野県の大型観光マップを紹介しました。このマップは鳥の視点で見渡す鳥瞰図の第一人者吉田初三郎さんが描いた幅約4㍍(縦90㌢)にもなる絵図で、当地は巨大な水田が階段状にならぶ里(姨捨の棚田)として描かれています。この日は絵図の複製を、馬場條・さらしなルネサンス副会長が姨捨観光会館(千曲市八幡)に寄贈。絵図の実物を所蔵する長野県立歴史館学芸員の林誠先生に、絵図や作者の吉田初三郎さんに関する講演をしてもらいました。
絵図のタイトルは「長野県の温泉と名勝」。長野県庁が吉田さんに発注し、昭和7年(1932)に完成ました。当時長野県は全国有数の温泉県。明治に始まった製糸業がふるわなくなり、観光によって経済を盛んにしようという時代だったといいます。信越線をはじめ県内に鉄道が敷かれ、最寄りの駅名が目立つ格好で描かれています。
諏訪より南は実際のスケールからするととても小さく描かれていますが、これは当時、温泉地が北信は中心にたくさんあったためではと林先生は言います。この絵図にさらしなルネサンスが注目したのは、姨捨の棚田が中心部分に描かれていたことも理由なのですが、林先生のお話を聞き、結果的に中心に置かれたと考える方がよさそうです。
とはいえ、姨捨の棚田を水の階段、水のピラミッドのように吉田さんが描いたことは当地にとって誇らしいことだと思います。江戸時代の歌川広重の浮世絵で姨捨の棚田は「田毎の月」としていっそう世に知られましたが、「田毎の月」は夜の風景です。観光絵図は昼の景色なので吉田さんは水に月を浮かべることはできず、そのかわり田に張った水の様子や色を強調したのかもしれません。
講演後、会場からは田それぞれに月が映る「田毎の月」のことについて質問が出ました。これに対する林先生の答えが興味深いものでした。目の前の景色をそのまま写す写実という表現は、洋画が入ってきた明治20年代後半から日本に広がっていったもので、それまでの日本の絵はいろいろな角度や歩いて見えたものをトータルにまとめて一枚にするのが一般的だったそうです。水を張った棚田を歩いていると確かにそれぞの田に月が写っています。「田毎の月」という言葉や絵の表現は、こうした昔の日本人のものの見方が濃く反映したものということになるようです。