「春の小川」から「天の川」へー歌って楽しく気持ちよく

  「さらしな」という地名の、特に「さら」という音の響きの魅力は、唱歌「春の小川」の歌詞によくあらわれていますが、天の川の季節の唱歌でも効果的に使われています。「ささの葉さらさら…」で始まる「たなばたさま」です。

  ささの葉さらさら のきばにゆれる
  お星さまきらきら きんぎんすなご

  ごしきのたんざく わたしがかいた
  お星さまきらきら そらからみてる

 

 さ行のS音とら行のR音、そしてか行のK音の多彩な組み合わせ、繰り返し。梅雨が明けて、夜空いっぱいに大きな川の流れのようにあらわれた星々のきらめき。うっとうしさから解放されて、本格的な夏になる前の期間限定のすがすがしさ、清涼感があります。
 詞を作ったのは、山梨県旧穴山村(現韮崎市)で明治32年(1899)に生まれた権藤はなよさん。山梨で学校の先生になった後、文学を志して上京し、たくさんの童謡詩を作った人です。「たなばたさま」は1941年(昭和16年)、文部省発行の「うたのほん 下」に掲載され、全国の子どもが歌うようになりました。手に入った資料の限りでは、「たなばたさま」の詞を作った具体的な経緯はわかりませんが、権藤さんの生地の景観も関係しているように思えます。
 穴山村は大昔、八ヶ岳の山体が崩れ、岩石が流れくだった細長い丘(七里岩)の上にあり、そこからは北西に八ヶ岳、南東に富士山が見渡せます。見上げた空にきらめく星ぼしはこの上なくきれいだったでしょう。権藤さんはふるさとを離れ、東京に出たので、ふるさとの七夕のころの光景がより美しく記憶されていたとしても不思議ではありません。その美しさを子どもに、歌って楽しく気持ちよくなるように伝えるとしたらと考えたのではと想像しました。
 権藤はなよさんは1961年(昭和36年)、夫のふるさとの宮崎県延岡市で死去。享年62歳。写真はJR中央線の穴山駅(韮崎市)に隣接する穴山さくら公園に建立された「たなばたさま」の詩碑など。穴山駅付近の路線も急こう配にあるため、かつては姨捨駅と同じスイッチバック構造になっており、この公園はその当時、駅のホームだったところに整備されたそうです。(大谷善邦、参考文献=「古里・穴山を詩う-権藤はなよの作品」伊藤まなみ編・著)

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