冠着山(姨捨山)の麓に親孝行の観音像があります

さらしなルネサンスからお知らせです。更級人(さらんど)「風月の会」の上水清さんが、平安時代にさらしなの里を全国に送り出した和歌や、冠着山のふもとでお祭りされている「親孝行」の観音像について、文章と写真をfacebookにアップしました。当サイトにも転載させていただきました。上水さんは、ギター工房「上水」というブログも開設しています。
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姨捨山(冠着山)を詠んだ和歌に、「わが心なぐさめかねつさらしなや姨捨山に照る月を見て」〈古今和歌集905年編纂〉がある。この歌のインパクトが強烈であったため、古代都人に月と棄老についての独特のイメージを形成させ、「姨捨山」と「さらしなの里」は、歌枕(月の都)としての、また棄老伝説(姨捨物語)の中心的地位とブランド性を得た。
現在、月の都「さらしな」の里は、冠着山(姨捨山)の裾野に広がる千曲川の西地区全域を指しているが、かつては、冠着山のおひざ元である旧更級村がその中心であった。そのことから、明治時代の中頃から、旧更級村初代村長の塚田小右衛門らの働きかけによって、千曲市羽尾の郷嶺山(ごうれいやま)は、長楽寺周辺と並び称される観月と和歌や俳句愛好家のメッカとなっていった。郷嶺山(観月孝子公園)に現存する更級観月殿、句碑や歌碑が往時を偲ばせている。また、平成17年、地元の有志によって「観月会」が復活され、毎年中秋の名月には盛大に行われている。
この地が姨捨伝説の発祥の地であるとともに、親孝行者の里であることを顕彰するため、昭和36年(1961)、姨捨孝子観音(おばすてこうしかんのん)が建立され、併設された石碑「姨捨孝子観音由来之碑」には、その由来と姨捨伝説が記述されている。よって、冠着山(姨捨山)と郷嶺山の「観月孝子公園」は、観月の聖地であるとともに、老人の知恵と親孝行者の里(姨捨伝説)の拠点であると言われている。
毎年、4月15日には、羽尾第四区と羽尾第五区の主催による「孝子観音例大祭」が、明徳寺の住職の司祭で挙行されている。 2016年の例大祭も4月15日午後1時から行われた。 例大祭は、春祭りとして五穀豊穣と地域の安寧を祈願する祭りであるが、老人の知恵と親孝行者の里であることを顕彰する意味も含まれている。
姨捨孝子観音を参拝すれば、「老人の知恵が研ぎ澄まされ、いつまでも若さを保ち長生きができる」。そして「親孝行者のやさしく賢い心が授かり育まれ、家庭の幸せと地域の発展に貢献できるようになれる」と言われている。
姨捨孝子観音のことはあまり知れ渡っていない。 地元に住んでいる者の一人として、これから大勢の人に参詣していただきたいと切に願ってやまない。(上水清)

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