2月15日(水)、五加小学校6年生の皆さんに出前授業を行いました。
「『姨捨に棚田ができたわけ』を学習したい」との希望から、塚原弘昭副会長が講師となって、姨捨の土地の特徴や歴史などを説明したり、パワーポイントで具体的に見てもらったりしたことから、児童の皆さんは、姨捨の棚田の魅力を改めて学ぶ1時間になったようです。
まず、千曲川を挟んでそびえる西側と東側の山々の違いを知ることから学習が始まりました。五加小の皆さんは、どちらの山々も毎日眺めています。西側の冠着山や三峰山などのさらしなの山々の斜面には、かなり高いところまで人は住んでいますが、東側の山々は急な坂ばかりで、ほとんど人が住んでいません。また、西側の山には上から流れてくる川が何本かありますが、東側の山には川はほとんどないそうです。あらためて両方の山々を見てみると、まったく違うことに気付いて、びっくりした皆さんでした。
次に、さらしな・姨捨の棚田の「土」は粘土混じりで、深くまで柔らかいことを教えていただきました。これも、東側の山との大きな違いです。実は、さらしな・姨捨の斜面の土壌は、今の三峰山が度重なる「地すべり」を起こして、どんどんたまっていった粘土状の土が重なっていったそうです。その地すべりは、約40万年前と10万年前に起こりました。地すべりによって積もった柔らかい土は、米作りに適していることに気付いた子どもたちは、ますます興味を持ってお話に耳を傾け、塚原先生が見せてくださった姨捨山の景観図を巧みにスケッチしていました。
さらに、江戸時代の人々が集まって協力し、地すべりによって地下水がわき出した沼地をため池に変えたり、そこから水路を作って水を引いたりして棚田が作られたという話を聞いた皆さんは、口々に「すごいな」「びっくりした」「昔の人、頑張ったんだ」など、驚きの感想を発表してくれました。
「さらしな・姨捨の棚田」は、遠い昔に起こった「自然の出来事」と「昔この地に住んでいた人々の努力と工夫」によって作られたことに、深く心を動かされたようです。
〈児童の感想〉
〇知らないことだらけだったけれど、一番びっくりしたのは、江戸時代から棚田が作られていたことです。棚田の一部は、もっと昔の戦国時代にあったそうです。そんな昔の時代から棚田で米が作られていたなんて、予想外でした。
〇みんなで棚田を作ろうと決めた昔の人たちはすごいなと思いました。写真やイラストからも、棚田がたくさんあって、広がっていることがよくわかりました。地すべりのことなど、いろいろなことを教えてくださり、ありがとうございました。
(報告 児玉淳子)