千曲市の宝の屏風絵「姨捨山」を子どもたちに見てもらいました

 

 第2回おもしろさらしな写真コンテストでは、千曲市倉科地区生まれの日本画家、倉島丹浪さんの屏風絵「姨捨山」を展示し、子どもたちに見てもらいました。日本遺産「月の都」となるうえで重要な役割を担ったのが、古来、都人らがあこがれてきた「さらしなの里姨捨山の美しい月」なので、そのことを倉島さんのこの絵で伝えようと考えました。さらしな姨捨は「若返りの里」です。

 以下は表彰式の冒頭、子どもたちに伝えた内容です。(大谷善邦)

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 おもしろさらしな写真コンテストは、千曲市が2年前、「月の都」として日本遺産になったのを記念して始めました。古くから「月が特別に美しいところ」と、都の人たちが憧れてきたさらしなの里が千曲市にあったから、日本遺産になることができたので、そのさらしなの里の美しさを千曲市の将来を担う子どもたちに知ってもらいたいと考えました。

 2022年のおもしろさらしな写真コンテストに応募のあった作品は、写真だけでなく、添えられた言葉がとてもよかったです。ふだんの風景、みなれた風景が、その言葉があることで違うものにみえ、とても新鮮に見えました。俳句になっている言葉もいくつもありました。俳句になっていなくてもリズムのある言葉は、写真に写った世界の意味をいろいろに想像させます。最初から言葉があったわけではなく、撮った写真を見ているうちに出てきた言葉かもしれませんが、写真を撮ったときに実は言葉の核の部分はすでに撮った人の心のなかにあることが多いものです。それを人に伝えたい、どうしたら伝わるだろうかと考えているうちに、短く印象的な言葉になったりします。おもしろさらしな写真コンテストは来年も続けますので、心に留まった風景があれば明日からでも写真に撮って、応募作品にしてみてください。入賞作品について、この後の表彰式で賞状をお渡しするときに、どうよかったのかお伝えします。

 

 きょうはせっかくの機会なので、ここに展示してある屏風の絵のことについてお話します。これは千曲市の倉科地区生まれの日本画家、倉島丹浪さんという人の「姨捨山」タイトルの作品です。千曲市の美術館「アートまちかど」が所蔵しているもので、学芸員の布谷理恵さんがきのう、この場所に展示してくれました。

 姨捨山は冠着山の別の呼び名です。千曲市のどの山が冠着山なのかみなさん知っていますか。電車で松本の方に行くときに冠着トンネルというトンネルに入りますよね。そのトンネルの左側にそびえている山です。

 姨捨山という言葉の響きから、年を取った老人を山に捨てるというおどろおどろしいイメージを持つかもしれませんが、姨捨山のあるさらしなの里が実は「若返りの里」であることを、絵画で示したのがこの倉島丹浪さんの「姨捨山」という作品です。

 

 「姨捨山」は、姨石という巨大な岩があることで有名な長楽寺に伝わる「姨捨山縁起」から刺激を受けて描いたものと考えられます。縁起とは物語のことで、「姨捨山縁起」では日本神話に登場する二人の女性の神が主人公です。ひがみや妬みから姿もこころも醜くなってしまった大山姫を、美しい姪の木花咲耶姫が姨捨山に誘い、姨捨山にかかった美しい月を見て大山姫が心の汚れを洗い落し、姿も美しくなっていく物語です。最初にこの絵を知ったときは、右側の女性が大山姫で、左側の女性が木花咲耶姫だと思っていたのですが、この屏風を展示することがあった千曲市の美術館「アートまちかど」で、屏風に添えられていた解説の言葉を読み、とらえ直したほうがこの画の面白さはパワーアップすると思うようになりました。とても良い解説なので、読み上げます。

 

 長楽寺に伝わる「姨捨山縁起」をもとにしたもう一つの「姨捨伝説」。倉島丹浪はひがみや妬みから姿ばかりか心まで醜くなってしまった大山姫が、美しき姪・木花咲耶姫の誘いで訪れた姨捨山で、その美しい光景を眼の前にすることで心の汚れが洗い落とされ、やがて姿形まで清く美しく変貌していく様を描いた。紫から白へと変化していく繊細な色彩のグラデーションで描かれたどこまでも柔らかく美しい雲。その間から垣間見える濃紺の夜空を照らす月、描かれた影がインパクトを与える姨捨山。倉島丹浪は日本画に抽象画の新感覚を多彩に取り入れ、夢幻に満ちた情景を見事に表現した。

 

 屏風に描かれているこの二人の女性は実は同じ大山姫で、醜い心を持った大山姫が姨捨山にかかるさらしなの里の美しい月を見て、心が洗われ若返っていく様を描いているというのです。左側のこの女性は姨捨山縁起に登場する美しい「木花咲耶姫」だと私は解釈してきたのですが、そうではなく、さらしなの美しい月を見て若返ったおばあさんの姿。耳のイアリングが同じであるのでそうした解釈もできるそうです。解説の言葉を書いたアートまちかどの布谷理恵さんと話をしているときにイアリングの描き方が同じだと教えてもらいました。

 

 倉島さんは1992年、いまから30年前に93歳で亡くなり、どのような経緯や思いで、この屏風の絵を描いたのか詳しいことは残していないので、倉島さんがどのような思いで描いたのかはっきりしたことは分かりません。そのような美術作品は、見る人が自由に解釈していいんです。倉島丹浪さんは、姨捨山のあるさらしなの里は心をすがすがしく躍動させ、心を浄化させる「若返りの里」だと考えていたことになります。若返りの里のさらしな姨捨を美しく描いた作品です。姨捨とは姨の心を捨てること、さらしな姨捨はひがみがちな醜い姨の心を捨てることができる里と言えます。

 

 高山賢人さんの二胡と高久史子さんのピアノのメロディーも、倉島丹浪さんのこの絵を思い起こしながら聴くと味わいがより深まるかもしれません。

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