「さらしな」は地名遺産ーそば祭りプチ講座

 10月21,22日に開かれた「さらしなの里そば祭り」でさらしなルネサンスは、「さらしな」の魅力を紹介するプチ講座を複数開きました。これからその内容を、まとまった分から紹介していきます。
 *************

 信州千曲市に残る「さらしな」の地名の響きに、古代から現代まで一貫して日本人の美意識が埋め込まれているというのが、20年近くさらしなを調べてきた結論です。それがさらしなを全国の人のあこがれにした大きな理由で、もう一つの理由は、そうしたさらしなの美しい響きを裏切らない景観、歴史文化が今もあることです。地名と景観双方があって初めてさらしなというスーパーブランドが成立します。「さらしな」という地名が持つこうしたブランド性を、短い言葉にしたのが「美しさらしな」です。さらしなは地名の美と景観・歴史文化の美を合わせもっています。(さらしなルネサンス会長・大谷善邦、画像をクリックするとPDFが現れ、印刷できます)

 「さらさら」大好き

 白色を見たときに感じるものは、日本語では神聖、清潔、清か、清楚、清浄、清涼、清冽などがあります。さ行の澄んだ音が際立ち、「さらしな」の響きと似ています。さらしなを多くの人のあこがれにしたのは、この感覚だと思います。この感覚がよくわかる一つの例が、唱歌「春の小川」です。
 「春の小川はさらさらいくよ 岸のスミレやレンゲの花に すがたやさしく色美しく さけよさけよとささやきながら」
 「さらさら」は、清らかな水の流れをあらわす言葉で、さ行はすがすがしさ、ら行は躍動感を感じさせます。さ行とら行がセットになった地名が「さらしな」です。さらさらに加え、「きし」「すみれ」「すがた」「やさしく」「うつくしく」「さけよさけよ」「ささやき」と、立て続けにサ行の音が響きます。なんとも明るくすがすがしさを感じます。身も心も新たに始まる新年度スタートの歌として歌われるのにふさわしい歌詞とイメージです。
 「さら」の響きは古代も同じでした。日本最古の歌集「万葉集」に次の歌があります。
 多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの児のここだかなしき
 関東南部を流れる多摩川で、織物の白い糸にするため植物の繊維を水にさらしている女性の美しさ、あるいはさらす仕事の傍らにいるわが子のかわいさを詠んだ歌。ここで登場する「さらさら」も「春の小川」の「さらさら」と同じイメージです。水の清らかさ、空気のすがすがしさがきわ立ちます。
 「ルールールルルー」の歌声が美しい由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」。歌のタイトルにある「s」と歌詞の「r」の組み合わせは、躍動感を伴ったすがすがしさ醸し出す最強の響きかもしれません
 江戸時代の俳人小林一茶に、「さら」の音が白い世界を効果的に描写している句があります。
 一夜さに桜はささらほさらかな 
 「ささらほさら」はめちゃくちゃ、いいかげんの意味の方言。一茶は桜の花が風や雨のせいで一晩で散ってしまい地面が真白になった世界を詠んでいます。
 江戸時代には白さが特徴のさらしなそばが誕生しました。麻布のそば職人がそばの実の真ん中の白い粉だけでつくるそばを考案し、それが大名に歓迎されて広まったのですが、その職人が信州更級と縁のある人で、さらしなの白いイメージを重ねてさらしなそばと命名したと伝わっています。そばの実を全部挽いた黒いそばが当たり前の時代に、白米と同じように白いそばができればそれは珍しく話題になったでしょう。
 景色や食べ物など身の回りのものにすがすがしさを求める日本人の感性は今も息づいています。銭湯の壁画の富士山。必ず雪を頂き、青空や白い雲とセットで描かれます。日本人が富士山を世界遺産にしたいと思った気持ちには、すがすがしさにひかれる感性があったと思います。さらに化粧品、食用油、洗剤など「さらさら」という音の響きを名前に使う商品は枚挙にいとまがありません。 

 若返りの里

 「さらしな」は月が美しいことでも有名でした。さらしなの里の中央には千曲川が流れ、上がった月の光を壮大に反射させます。峰の間が凹んでいる鏡台山から現れるさらしなの月は、極楽からお迎えに来る阿弥陀如来にも見立てられました。月を美しく見せる舞台装置が整っていました。月は「心の鏡」とも呼ばれ、自分が理想の姿に近づいているかどうか確かめる天体でもあり、和歌や俳句にたくさん詠まれてきました。月の満ち欠けには「再生」「更生」のような新しく生まれ変わる意味もあります。やがてさらしなの里は「月の都」とも呼ばれ、人々はすがすがしさと躍動感を一層覚えるようになりました。人々は姨捨に来て句歌を詠んで「さらしな」の世界に浸り、生まれ変わり、若返って帰っていきました。
 歌をうたうと再生するのは現代人にとって大変身近です。カラオケです。歌をうたうと元気になり、昔のことを思い出し、気分がよくなるでしょう。心が動くことは血の巡りがよくなることですから、気持ちも体も若返るのです。俳句や短歌を作ったり読んだりして爽快感にひたるのにも同じ心身を健康にするメカニズムが働いています。
 以上のようなことがわかってきて思ったのは、「さらしなは地名遺産」だということです。地名遺産という言葉は、市町村合併で2005年1月、「更級郡」が消滅したのが残念で考案した造語です。「さらしな」は千年以上前から京都の貴族をはじめ、多くの人があこがれた土地で、「更級郡の消滅は歴史的事件」と指摘する歴史学者もいました。後世に残すべき建物や自然を「世界文化遺産」「世界自然遺産」として登録するように、未来に伝えるべき地名を「地名遺産」と呼び、大事にしていきたいと思います。(日本経済新聞や朝日新聞が日曜版でいろいろなテーマのランキング結果を特集していますが、平成の市町村合併でなくなって残念な行政区画名のランキングをやったらどうなるか。「更級」は上位に入るのでは)

 親子地名「しなの・さらしな」

 千曲市は千曲川を挟んで旧更級郡と旧埴科郡からできています(図右上)。千曲市は観光ビジョンを「科野さらしなの里千曲」としていますが、この言葉の意味、狙うところが十分に浸透しているとはいえません。さらしなの地名は信濃の国のもとになる科野という呼び名から誕生し、さらしなははにしなと姉妹地名であることをもっと強調したいと思ます。
 科野は、漢字が中国から入り記録に残されるようになった初め、都の記録(古事記)で今の長野県のこととして登場します。「更級郡」と「埴科郡」はこの科野から誕生した可能性があります。上信越自動車道建設の発掘調査で、科野は現在の善光寺平を中心にした国と考えた方がよくなりました。当時の役人が命令などを書き込んで回覧した細長い板(木簡)が多数、発見されたのですが、その中に国府が現在の千曲市屋代(旧埴科郡)にあったと考えた方がいい証拠があったのです。となると、屋代一帯が科野なので、郡を設ける際、しな(科)を取って千曲川の西側を更級とし、東側を埴科とした可能性があるのです。
 二つの呼び名が生まれた理由を思い切って想像してみます。旧更級郡は千曲川の西に広がり、山並みはなだらかです。東(埴科郡)の山から上った日差しを受け、朝日が差し込む場所になります。明るさ新しさを強調したくなる気持ちがあって「さ新(あら)シナ」?。一方の埴科ですが、埴には黄土色の粘土の意味があります。焼き物用の土がとれたことからの名前でしょうか。木簡が発掘された場所のすぐ南の山頂には科野を治めた豪族の王墓説がある長野県最大の「森将軍塚古墳」があります。ここは粘土で作られた埴輪で囲まれていました。埴輪は神聖で権威を象徴するもの、だから埴科?。屋代周辺にはシナのつく地名が集中しています。倉科、保科、波閇科、信級…。篠ノ井も含め、科野から派生した地名かもしれません。
 千曲市は信濃国(しなののくに)の大本のところにあり、その「しな」から「さらしな」も誕生。科野とさらしなは親子関係にある地名の可能性があります。このこともブランド価値につながります。ブランド性のある地名は、産物風物の頭につければより魅力的になります。器がきれいだと料理はおいしそうだし、服がきれいだと着ている人もよりきれいに見えます。人は拠って立つ足元がしっかりしてこそ羽ばたけます。足元(郷里)が美しく輝いていれば帰ってきやすいものです。「美しさらしな」を合い言葉に舞台を整えて磨いていきましょう。

上部へスクロール